人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ハイディ古賀

ハイディ古賀こと、古賀英彦2軍監督。

千葉ロッテ2軍通称『浦和マリーンズ』を2年連続でイースタンリーグ優勝へ導いた名将だ。
今江敏晃、西岡剛を1軍に送り込んだもの彼で、その事についてはいずれ触れよう。

ここで彼の波乱に満ちた経歴を振り返ってみよう。
熊本工、近大を経て読売ジャイアンツを3年で退団後、
サンフランシスコ・ジャイアンツの秋季キャンプに参加する。
本名は古賀英彦だが、「ハイディ」というニックネームが付いたのはこの頃だ。

それから数年間、ディケーター・カマドーズ(サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下1A)、
ローダイ・クラッシャーズ(シカゴ・カブス傘下1A)というマイナーリーグのチームで活躍し、
1969年にはグローバルリーグに参加し東京ドラゴンズの一員として、
アメリカ、ベネズエラ、プエルトリコを転戦した。
リーグ解散後はベネズエラのウィンターリーグで3年間プレイしながらアメリカで過ごし、
帰国後は大洋ホエールズ、太平洋クラブライオンズ、南海ホークス、ダイエーホークスで、
投手コーチ、通訳、編成などを担当した。


指導者としての経験も豊富である。
1990年から92年までサリナス・スパーズ(独立系マイナーリーグ)で監督を経験、
1996年から2000年にかけては、ダイエーホークスで一軍ヘッドコーチとニ軍監督を歴任。
退団後2001年は、ソノマカウンティ・クラッシャーズに所属しベンチコーチを務めた。
日米を股にかけてこれだけ豊富な経験をして来た指導者は他に例をみない。


そのハイディが『浦和マリーンズ』で指揮を執り始めたのは、2004年のシーズン、
バレンタイン監督に請われてのマリーンズ入りだ。
1997年から浦和マリーンズは、7年連続のBクラスという暗黒時代(4位1回、5位5回)。
1軍に至っては、8年連続のBクラスという(4位3回、5位3回、6位2回)始末だ。

ファームだから、試合結果や順位は関係ないという声もあるが、ハイディの考え方は違う。
弱いチームだからこそ勝利を追及し、負け犬根性を払拭する事が最重要だというのだ。
そして2005年、1軍はリーグ制覇し、アジアチャンピオンに。ファームに至っては、
2年連続でイースタンリーグを制している。


そんなハイディ古賀の軌跡を、何度かに分けて追っていく。

by madein30 | 2006-10-19 01:38 | 俺の千葉ロッテ  

<< 父親とネコ 予言 >>