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慎みなさい。

あまりにも情けない日々が続いているので、約3年ぶりに、ブログにログインしてしまった。


何が情けないかって?


もちろん、韓国の事だ。


李明博大統領の竹島上陸、W杯での竹島アピール、天皇陛下への発言…。


もう、顔から火どころではなく、血が出そうな勢いで、お恥ずかしい毎日だ。


ネットを見ても、ニュースを見ても、大失恋したあの日のように、ため息が出る。全くもって情けない。


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日本が一流なら、韓国は二流だと、幼い頃から思っていた。


街並みもそう、生活ぶりもそう、スポーツもそうだ。そもそも韓国なんてマイナーな存在だった。


ここ数年は韓流ブームや、サムスンなどのメーカー系の躍進もあり、ようやく一流になりつつあるのか?なんて思っていた。


それも間違いだった。彼らはまだまだ、ド二流国家。


過去のこともすべて受け入れ、日本に謝罪だナンだと言わなくなる日。


お互いを尊重し合える日が一流になる日なのに、未だに韓国は、自分たちを尊重しろの一点張り。


要するにチンピラだ。チンピラは一流になれない。


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19歳の頃、韓国に留学してみて、自分が韓国人ではないとよくわかった。


感性などは日本人にかなり近いだろう。そりゃそうだ、生まれも育ちも日本だもの。


ただ、日本人ではない。


俺は俺で、マイノリティとして生き抜いてきた、プライドというか、芸というか、面白さがあると思っている。


日本の人は優しいから、悪気なく、『でもサンジュンなんて日本人と一緒だよね』なんて言ってくれる時がある。


それはそれで違和感がある。


俺も全く悪気はないんだけど、マジョリティにマイノリティの気持ちは、なかなかわからないものだと思うのだ。


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俺が在日韓国人として生まれ育ち、手に入れた最大の武器は、客観性だ。


これは両親の教育が大きく作用していると思う。


幼い頃から、「日本はこう」「韓国はこう」「アメリカはこう」と多角的な話が、日常会話に織り込まれていた。


両親の教育と、日本にも韓国にも、属しているようで属していない、フワフワの足場が、俺に客観性を与えたのだ。


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そしてもう一つ。


これは俺の努力と研究によって手に入れた能力。


それは歴史の見方だ。


歴史で一番大切なのは、『なぜ?』というキーワード。


『1192つくろう鎌倉幕府』ならば、『なぜ?』1192年に鎌倉幕府が出来たかがとても重要だ。


1192年にいきなり鎌倉幕府が出来るわけがなく、その背景、プロセスこそが最重要なのだ。


そして、多角的な視野で見ること。


当然ながら、歴史は日本だけで進んでいるわけではない。時間軸を世界に定める事が大切だ。


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そんな俺が、日韓の歴史を紐解くとどうなるか?


結論から言えば、日本は何一つとして、後ろめたい事はしていない。


竹島も尖閣諸島も、何の疑いようもなく、日本のものだ。


日本はチョンマゲだった江戸時代から、明治維新を迎える。


それは世界軸でいうところの、帝国時代への突入期だ。


帝国主義がいいとか悪いとか、現代の価値観では計れないし、計っても何の意味もなさない。


少しでも多くの土地と資源を求め、拡大こそが正義とされていた時代。


自分たちが、支配されないことこそ正義だったとされていた時代。


俺は戦争賛成なんて言うつもりなんてない。もちろん大反対だ。超おっかねえ。


ただ、いいとか悪いとかではなく、そういう時代だったのだ。


これに文句を言うのは、『原始人がナウマンゾウを獲っているのは野蛮だ!』というくらいナンセンスだ。


生きるためには仕方ない、家族を守るためなら仕方ない。


あの帝国時代、生きるため、家族を守るためには、他国に支配されないことが最大の正義だったのだ。


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そんな中、韓国は日本に植民地化された。


勝つことが正義で、負けることが悪の時代。何の文句があるというのか?


キャーキャー言う人はいる。曰く、日本の不意打ちだった。曰く、一方的に攻められた。


勝つことが正義の時代なのだ。結果が全ての時代なのだ。現代の価値観で鑑みても、これっぽっちも意味はない。


やがて、1945年に日本は敗戦した。負けることが悪の時代、日本も負けてしまった。


そして世は、帝国主義の時代から、民主主義の時代を迎える事になる。


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1965年、日韓基本条約が締結された。


超多額の補償金を日本は韓国に支払い、戦争に関する事は全てこれで終わりね、という手打ちになった。


※ちなみに、竹島のことは棚上げされた。


それにも関わらず、韓国はいまだに、いけしゃあしゃあと補償も求めてくる。


これは何故なのか?


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結論から言えば、原因は教育だ。


戦後の日本の歴史教育が、自虐的だったように、韓国は愛国教育を施している。


愛国だけならばいいのだが、愛国とセットで、必ず日本が使われる。


愛すべき韓国を奪った日本。朝鮮半島を真っ二つにした日本。


それがいつも前面に出てるわけではないけど、ちょちょいと韓国人の愛国心をくすぐると、それが顔を出す。


DNAレベルでそれがあるとかは、ありえない。


そうだとするなら、俺が日本を嫌いじゃないといけない。俺は日本大好きだもの。


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日本の教育も、これまたよく出来ている。


近代史は、小学校でも中学校でも高校でも、三学期に習う。


三学期は期末テストしかないし、ほぼ駆け足になる。サラッとしか教えない。


そして、みんな漠然と『戦争=悪』『敗戦国=日本』とかの先入観があるから、何となく居たたまれない気分になって終わる。


上述した歴史の見方こそが一番大切なのに、なんとなく、日本が悪かった的な雰囲気だけが残る。


縄文式土器とか、高床式倉庫とかより、大切なものがあるんじゃないかと思うよね。


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そもそもの韓国人は、俺が見るに、激情型ではあるが、裏表は少ないように思う。


儒教の教えにも良し悪しがあるが、単純に目上の人を大切にするのは、悪い事ではないだろう。


激情型だから、ホームに飛び込んで人を助けちゃうし、親切になるととことん親切になる。


裏表のない激情型人間とは、噛み砕いていうと、起伏は激しいけど純粋であり、悪い人間ではないと思っている。


ただ、そこに例の教育を施されているからねじ曲がる。これはとても厄介だ。


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日本人は、思慮深い一方で、裏表がある場合が多いと思う。


これは悪い意味ではなく、本音と建て前を使い分けられる、大人の対応が出来るということだ。


ただ、その建前と比例して、ほんの少しの闇の部分を持っている人もいる。


俺は在日韓国人だからと言って、面と向かって差別されたことはない。一度もない。


ただ、妹が日本の男性と結婚するとき、そのご両親から『うちは平気だけど、うちの親戚は出席出来ないの、ごめんなさい』と言われた。


他にも在日の友人は『間違えてもチョゴリなんて着てこないでね』とか『日本人に帰化するなら許す』とか結構な確率で言われている。


たぶん、そう発言した人たちの多くは普段、『差別は良くない』と思ってるだろうし、差別してる気もないんだと思う。


でも、実際自分の身内に韓国人が出来ると思うと、嫌というか、怖いというか、その闇の部分が顔を出すのだ。


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俺が日本人の一番美しいと思っているのは、『恥を知る』文化だ。


恥とは、劣位や劣等の観念であり感情だ。


わかりやすくいうと、普通に考えてしちゃいけない事はしちゃいけないよ、それは恥ずかしい事だよ、という事。


その普通からはみ出るようなことは、劣っているという事だよ、という事。


それこそが日本人の規律正しさの根源だし、俺が日本が素晴らしいと思う最大の理由だ。


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ただし、その副産物がある。それが例の闇の部分だ。


日本は、アイヌ民族や琉球民族を除き、ほぼ単一民族、しかも島国という環境で、2,000年以上の間、文化を熟成させてきた。


この世の全てが同じ民族で、生まれてから死ぬまで、基本的には大和民族しか知らない生活を何十世紀もの間、生きていた。


人と違うものに、違和感を覚える。人と違う事に意識的でないにしろ、漠然とした、嫌悪感や恐怖を抱きやすい。


これは教育ではなく、文化や、それこそDNAレベルで刷り込まれているものだと思う。


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市川の田舎で育った俺にはわかる。


幼い頃、たまーに、白人や黒人、東南アジア系の人を見ると、やはり違和感があった。漠然とした恐怖があった。


これが、大陸人とは大きく違う。


彼らは地続きの土地で生きてきたから、違う人種がいる事を、当たり前の事として知っていた。


中国だけでも何十、何百の民族があったし、これはヨーロッパ、東南アジアなど、ほぼ全ての国がそうだ。


地域性で言うのであれば、日本が特殊であり、その中で、俺が素晴らしいと思う、恥を知る文化が成熟された。


その副産物である、ちょっとした闇の部分も持ちやすい環境が日本と日本人にはあると思う。


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ただし、それは教育と自覚でいかようにも変えられる。


あくまで少しの闇を持ちやすい環境が日本と、日本人にあるという事だ。


俺の周りにいる日本人の友達は、俺の国籍について、1mmも何とも思ってないと思う。これーーーーっぽっちもだ。


もし『実は俺、ロシア人なんだ』とカミングアウトしたら、『え!…、で?』となるに違いない。


嫁は日本人だし、結婚するにあたり、嫁のお母さんも一切の反対もなかった。


実際、俺には運があるなー、と思う。


妹にはその運が無かった。俺は妹に『こればっかりは運だから仕方ねーな』と言ったし、実際そう思ってる。


妹を愛してくれる彼と、二人で幸せになってくれれば良い。


家族全員ウェルカムじゃない結婚なんて、国籍じゃなくてもよくある話だ。


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ついでだから書くと、最近、ネットで在日叩きを目にしない日は無い。


生まれてから34年、面と向かって一度も差別を受けた事がない俺としては、ある意味、カルチャーショックだ。


理由は色々あるんだろうけど、ナショナリズムを表現できる場が、日本には、それこそスポーツの応援くらいしかないと思う。


日本に生まれ、日本で育ち、日本を愛する事は当然のことだ。


ただ、それを表現する場が無さすぎる。


君が代の斉唱もそうだし、日本人が日本人である事を誇らしく表現する事が、規制されすぎていると思う。


それは、人と違うことを恥とする、例の文化の影響なんだろうけど、そこはどうなんだろうな~?と思ってしまう。


祝日、人の家の玄関先に日の丸が掲げられていると、俺はとても微笑ましい気持ちになるね。


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いわゆるネトウヨも、そんな些細なナショナリズムが根底にあるんだろうとは思う。


ただ、爆発のさせ方が間違っている。間違いすぎている。


もっと、普通に、普段の生活の中に、ナショナリズムを彩ればいいのに、と思ってしまう。


在日憎しの記事やコメントも溢れているが、そんな憎いもんかね?とも思う。


在日特権なるものが存在し、彼らが言うには、どうやら税金とか、光熱費とかが超安くなるらしい。


あるならぜひ教えて欲しい。使うから。


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在日韓国人が言われて一番嫌なことは、『国に帰れ』と言われることだ。


何故ならば、国なんて、とうになく、これから先も生きていくのは日本だからだ。帰る場所などどこにもない。


だからこそ、在日韓国人も慎ましく生きていかなければならない。


日本で生きていくのだから、日本のルールに合わせるのは当たり前。


しかも、不自由なく生きていくための権利はすでに享受されている。


これ以上欲しいなら、日本人に帰化すればいいだけの話だ。


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ちなみに、俺が帰化しない理由は、する理由がないからだ。


帰化したら何かが劇的に変わる事もないだろうと思ってる。


最近は帰化のハードルも下がってるようだけど、それでもそれにかけるカロリーを考えると、帰化したいとは思わない。


選挙だけ行きたい気持ちはあるけどね。


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多くの在日韓国人は、俺のように日本に感謝しながら慎ましく生きている事と思う。


実際は、その国家観を語り合った事があまりないので、絶対そうかと言われると困るが、たぶんそうだ。


国家観を語り合った事が無い理由は、それも話す機会がないから、だ。


日本人同士が国家観を語り合う機会がそうないのと、同じ理由だ。


ただその、『在日の多くの意見』はメディアに出にくい。


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在日韓国人の最大の団体で、在日本大韓民国民団(通称:民団)という団体がある。


戦後、寄り合わないと生きていけなかった在日韓国人たちの最大機関だ。


かなり隆盛を誇った時期もあったし、在日なら民団の催しに参加する、活動するという時期があったのは事実だ。


俺も民団の参加団体、青年会千葉県本部の会長をやっていた時期があった。


若い頃は、単に在日の出会いの場として活用できるが、年を重ねるにつれ、そうはいかなくなる。


要するに、かなりの金がかかるのだ。


いま民団中央本部の上層部といわれる方たちは、例外なく、それなりにお金を持っている方たちだろう。


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民団の財政はかなり厳しいに違いない。


民団の運営は、在日韓国人たち、団費といわれる寄付によって成り立っていた。


俺が会長をやっていた10年ほど前でも、民団勤めのおばさんが、苦しい苦しいと言っていたし、


行事や、青年会に割り振られるお金も、年々と減って行っていた。


今は、一部のお金を持っている人たちの寄付が、何とか民団を支えているに過ぎない。


在日韓国人が50万人いるとして、民団の活動や催しに1年に1回でも参加する人は、


子供まで含めて、5万人にも満たないのではないだろうか?せいぜい、10万人くらいだろう。


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そんな民団だが、戦後から在日の機関としてだけではなく、韓国の領事館的な役割りも持っていたから、当然、韓国色が強い。


そういう民団の発表が、在日の総意とされるのは、温度差を感じざるを得ない。


俺のような民団とそれなりに関わりがあった人間がそうなんだから、そうじゃない人は、さらにそう思うはずだ。


※蛇足かもしれないが、在日に生まれても、民団活動に全く携わらないで生きていく人の方が、圧倒的に多い。


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話が脱線しまくり、長くなってしまったが、俺が言いたいのはこうだ。


竹島に関しては完全に日本のものなんだから、遠慮する必要はない。


大体、サッカー含め、スポーツの世界大会では狂ったように『独島は韓国領だ!』アピールをするくせに、


国際司法裁判所には一切出て来ないのは、どういう神経なのかがよくわからない。


2つの国がそれぞれ違う言い分で揉めているのだから、中立的な国際司法裁判所で争うのが一番いいに決まってる。


余談だが、もし尖閣諸島の件を中国に訴えられたら、日本は堂々と受けるべきだ。


国際司法裁判所に引きずり出すために、経済制裁もするべきだし、文科系のストップをかけるものいいと思う。


とにかく韓国には、慎め!と言いたい。


元凶は教育にあると書いたが、それを改善させる術を、残念ながら俺は知らない。


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俺自身は、李明博大統領自体は、韓国にとって久々に優秀な大統領だと思っていた。


就任当初、「日本に謝罪や反省は求めない」「日本は形式的であるにせよ、謝罪や反省はすでに行っている」と述べていたし、


企業出身であり、個の能力は、それなりに高いと今でも思っている。


俺が嘆くのは、大統領をそうさせてしまう馬鹿な世論と、それに乗る浅はかな国民たちだ。


本当に恥ずかしいし、民度も低さがよくわかる。


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俺にとって韓国とは、『何十年も連絡を取っていない酒乱の父親』のようなものだ。


何十年も連絡を取っていないから、いいっちゃーいいんだけど、それでも父親がまた酒乱で暴れたと聞いたら恥ずかしい。


酒乱でどうしようもないけど、父は父だから、敬愛の念は微かにある。


それ以上に、身内だからこその侮蔑の念もある。


とにかく、しっかりしてくれよ、韓国よ!と思ってしまうのだ。


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日本人にも言いたい事がある。


ただ一つ、選挙へ行け、だ。


竹島の実効支配をここまで許したのも、日本の教育が歪んだのも、やはり政治や世論と密接に関係がある。


その政策を世間に反映出来るのは選挙のみで、デモやネットでの活動ではない。


選挙に行かない人に、何一つ文句を言う資格はない。とにかく選挙へ行ってほしい。


日本の安全保障も、教育問題も、消費税や社会保障も、次回の解散総選挙は、焦点が多くなるに違いない。


選挙権とは言うものの、実質的には義務だ。だから必ず行って欲しい。


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日本と韓国の仲が悪くても、俺は俺で、実はそう被害がないと思う。


隣国だから仲良く、という必要はない。世界では隣国同士、仲が悪い国の方が多い。


でも仲よく出来るものであれば、仲良くした方が良いというのは、普遍的な価値観だ。


今回のを機に、お互いに言いたい事を言うのが良いと、俺は思ってる。


その結果、日本人に徴兵制が出来ても、それはそれだろうし、お互いに核武装するなら、それもそれだ。


改めて書くが、日本人の多くは韓国人を尊重している。していないのは韓国の方だ。


この先どうなるかはわからないが、偽りの隣国関係を続ける今より、関係は成熟するんではないだろうか。


韓国人よ、慎め。


日本人よ、選挙へ行け。

# by madein30 | 2012-08-31 15:36 | 俺の時事ネタ  

俺たちのシンケッチ

3泊4日で韓国に行ってきました。

食べたかったものは食べ尽くし、超満足。韓国にいる間は、一度もお腹が減りませんでした。

ハプチョンのコプチャンも、大学路の参鶏湯も、明洞のコムタンも食べました。

その中でも、留学してた頃以来に行った、新村のシンケッチはちょっと感動的でした。

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そもそも『シンケッチ』とは、

辛ラーメンの『シン』、ケラン(卵)の『ケ』、チーズの『チ』という意味。

要するに、辛ラーメンに、卵とチーズが入った、それはそれは体に優しくないジャンクフードです。

韓国は生ラーメンの文化がないので、ラーメンと言えば、インスタントラーメンが一般的。

そんな、インスタントラーメンを出す店はよくあるのですが、この店はもうハチャメチャ美味いのです。

ちなみに「シンケッチ」は「シンゲッチ」「シンゲチ」とも言いますが、俺は「シンケッチ」と呼んでいました。

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留学していた頃、俺たちは毎晩飲んでいました。ええ、毎晩です。

飲んでは吐き、吐いては飲み、そして飲んでは寝ゲロ、みたいな毎日。

9時から始まる、たった4時間しかない授業もまともに受けず、どうしようもないけど、輝かしい生活。

そんな毎晩繰り広げられる、新村飲み飲みライフの〆は、9割の確率でシンケッチでした。

シンケッチと同じくオーダーされるのが、ポックンパ。要するに炒飯です。

ここのは、炒飯に韓国海苔と大量のケチャップがかけられている、これもまたメチャウマメニューです。

各自シンケッチを1つずつ、そして人数により、2人か3人に1つの割り合いでポックンパを食べてました。

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この店の店主は、かなり痩せているのに妙に肌がツヤツヤのババア。

8:2分けで、まるで功夫の達人のような風貌。もしくは中国のエリート卓球選手。聞いたことないけど、たぶん店主。

それ以外に店員はいたけど、あまり覚えてません。

このババアがオーダーを取り、中にいる誰かが作っていたのだと思います。

オーダーすると、功夫が「シンゲッチトゥーゲー、ポックンパハナー」と気だるい感じで調理場に伝えます。

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当時の店構えは、店というより小屋に近く、ラグビー部の何人かがタックルすれば潰れてしまうような貧弱さ。

入口も狭く、マツコ・デラックスは入店すら出来ないでしょう。

店の中にも一応席はあるものの、外にテーブルがあり、そこで食べるのが基本。

外とは単なる歩道で、お洒落カフェのテラスではありません。野良犬と酔っぱらいが通る歩道です。

外に席がある事もあり、食い逃げも結構あったようです。

たまに功夫がやって来て「隣のテーブルにいた男はどこに行った?」的な言葉をかけてきます。

俺たちが「知らない」とか「帰ったよ」とか言うと、功夫はうつろな目で新村の喧騒を見つめていました。

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この店が誰よりも好きだったのは『ファット三宅』こと三宅デブアキ(本名)。

彼が韓国で丸々と太っていったのは、この店のせいだと言っても過言ではありません。

彼は拙い韓国語で、オドオドしながら「シンケッチトゥゲ、ポックンパビハナチュセヨ」と毎晩、功夫に語りかけていました。

基本的に1人で行く事がない店でしたが、『チョ・三宅・八戒』くらいになると、1人シンケッチも普通にこなしていました。

昔から【デブ is 寂しがり屋】といったもので、当時一緒に住んでいた俺やミョンセに、真夜中、

「腹減らんブヒ?シンケッチ行こうブヒ。おいら腹ペコで死んじまうブヒ~」

とよく行っていたものです。俺たちは飲んだ後のシンケッチが好きだったので、大体断っていました。

すると、キャッチャー三宅は「もう1人で行くからいいンゴッ!行って来るンゴッ!」といつも1人で出かけていました。

シンケッチとポックンパを1つずつ頼むとそこそこの量になるのですが、彼はペロリと平らげていました。

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そんなシンケッチに、13年ぶりくらいに行ってきました。

店はすぐそばに立て直しになり、とても立派な店構えになっています。

食い逃げのないよう、料金も前払いになり、席もテラスを含む店内に全て置かれています。








そして功夫がいました。








心なしか、前よりも肌ツヤが良くなっている気がします。髪型は13年前と変わらないあの8:2分け。

泣きそうになりました。

味は相変わらず。なんであんなに美味しく作れるのか、いまだにわかりません。謎です。

俺も何度もチャレンジしているのですが、あの味は出せません。それともあれは心のスパイスなのでしょうか?

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帰り際、功夫に超おぼつかない韓国語で話しかけました。


俺:「昔、店がまだ横に会った頃に来てたんだけど、一緒に写真撮って下さいよ」

功夫:「あー、たぶん延世のオハクタンに通ってたんでしょ?わざわざ日本から来てくれたの?」

俺:「そうなんです。久々に来てまだ店があって嬉しいです。美味しかったし」

功夫:「あらそう、私も本当に嬉しいわ」

俺:「あの、写真…」

功夫:「写真はダメ。写真は本当に嫌いなの」




ええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええ!!!!!!




とまあ、功夫が生きていたから良しとしましょう。

誰か、次にシンケッチ行く人、功夫に写真撮影を頼んでみて下さい。





俺たちのシンケッチ…。泣こうと思えば泣けるぜ。

# by madein30 | 2010-11-26 13:59 | 俺の留学時代