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放送作家トキワ荘7

つづき。菅さんに企画を提出した後の俺は、完全に燃え尽きていた。
あの菅ちゃんに、ガキの使いの企画をぶつけられた満足感が俺を覆っていた。
「菅ちゃんにお笑いは危険」という忠告を無視してまで、それに挑戦した事は、
ある意味で自己満足だったのかもしれないが、その後、後悔の念も無かった。
だから、あの時のあの決断は正しかったんだろう。しかも俺なりに自信もあった。
俺はいつもそうだが、人と接する際はいつも自信満々なポーズを見せる。
実際に自信があるか否かは別だが、そうしないと人と渡り合える気がしないからだ。

話が反れた。菅さんの採点は早かったように思う。2,3日でスタッフが部屋にやってきた。


40点△


それが菅さんが俺の企画につけてくれた点数だ。内容はこうだ。今でも鮮明に覚えている。


「言いたい事はわかるけど、もっとリアルな方がいいよ」


あまりに短いセンテンスに、俺は一刀両断された気がした。それでも凹みはしなかった。
菅ちゃんに、素人の俺がガキの企画を出して赤点じゃなかったぜ!と自分に言い聞かせた。
他のメンバーもこの企画で合格者が出る事はなかった。やはり菅さんは厳しかった。

さすがに入居して2週間ほどが経つと、体が衰弱していった。「食べれない」これが理由だ。
平均すると約2日に一回、つまり6食に一回のペースで定食を食べれればいい方だったろう。
ダジャレで食事を取る訳だが、ダジャレが得意な奴もいれば、苦手な奴もいた。
また、得意だからと言っても波があったりして、満足に食べれる奴は1人もいなかった。
この頃俺は、4日間つまり12食中パンの耳が2回、後は全部×ということがあった。
さすがに4日間をパンの耳数本で満足できるほど、俺の体は上手く出来ていなかった。
備え付けのポカリとかじるタイプのサプリメントを体に流し込み、なんとか空腹と戦った。

実はこういう事もあった。普段から食事が制限されると、せっかく定食を食べれても、
胃が小さくなっているせいか、全部食べきるのは難しかった。
もちろん、寮生同士の食べ物の交換などは厳禁だった。それはカメラに監視されていた。
だが、カメラの死角にご飯を隠し、片付けるフリをしてシンクに持ち込み、
そこでおこぼれを頂戴していたんだ。運よく定食が取れた人間が、ご飯を死角残し、
他のメンバーに分け与えるというのは、何となく暗黙の了解になっていた。
それでもそれはただ生き延びていただけで、それが飢えを満たす事はなかった。

俺がやつれ始めた頃、グリーンの採点結果が返って来た。
企画の鬼吉川氏のお題で79点を取り、リライトにチャレンジしていたやつだ。
80点を超えれば合格し退寮、79点以下なら強制退寮。どちらにしろ、退寮だ。
前述した通りグリーンはいい奴だった。人に警戒されない純真さがあったように思う。
さすがにその時のグリーンは緊張していた。俺たちも緊張していた。
そして結果が発表されたんだ。点数は覚えていない。だが…。

合格○

合格だった。グリーンは叫び続けていた。俺たちも喜んだ。素直に嬉しかった。
グリーンがいなくなってしまう寂しさはあったが、そこに妬みに似た感情は無かった。
入寮したときの私服に着替えたグリーンを俺たちは眺めていた。
スタッフが迎えに来た時、グリーンは俺たちに何度もこう繰り返した。

「×2個だった僕が合格できるんだから、みんなも絶対に合格できますから!」

底抜けにいい奴だったグリーンらしい言葉だ。
やがてグリーンはアイマスクをされ、スタッフの肩に掴まり出て行った。
俺が入居して以来、初めて目の当たりにした退寮。寂しさはあったが、悔しさは無かった。
いつも5人だった部屋は、痩せっぽちのグリーンが抜けただけで、とても広く感じた…。

by madein30 | 2006-06-29 00:40 | 俺の思い出  

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